2014年2月24日月曜日

昭和美術館

 今回は名古屋市昭和区にある昭和美術館をご紹介します。昭和区は閑静な住宅街という趣で立派なお家も散見されます。鶴舞線いりなか駅から徒歩で行けますが、周辺にはバス停もありますからバスで行く事もできます。美術館は本館、別館(茶室、会議室?)、南山寿荘(江戸時代の建物を移築したもの)が露地を囲むように配置されております。原則火曜日定休です。
 実は、ここで博物館実習させていただいたことがあり縁深い所でもあります。

正門

入り口

駐車場は広いです

回廊

南山寿荘


2014年2月15日土曜日

龍馬先生を訪ねて

 龍馬先生ゆかりの地へ訪れたい。ふと思い立ち先日、京都霊山護國神社へ参拝して参りました。合わせて美術展鑑賞も。
 ギャラリー恵風では大学の後輩が3人出品していた「贈展」を鑑賞。京都文化博物館では、「佐藤太清展」「京都府美術工芸新鋭展」を鑑賞しました。

就業後電車で京都へ、京都で一

次の日は、雪でした


 

 日本画も盛んな地である京都。美術系大学も多く。美大を卒業後もこの地を活動の拠点とする作家も多いですし、修復や古美術系の仕事も多いです。



 京都霊山護國神社への道中。
取材日はあいにくの雨
鴨川沿いの料亭

清水寺へと続く坂、外国人も多い

 京都霊山護國神社の参道は急勾配の坂路。下まで降りると高台寺や八坂神社へと続く路があり、観光客で賑わっています。


 境内は工事中でした。参拝客はまばらで静かな所です。

  社殿の右脇に霊山墳墓へと続く階段がある。300円を払えば入山できる。展望台からは市内が一望でき、いい眺めでした。
お墓からの眺め、左に八坂の塔

坂本龍馬氏の墓、隣には中岡慎太郎氏と下僕藤吉氏が眠る

木戸孝之氏の墓
維新の志士達が眠る
 そして、パール判事顕彰碑。パール判事は先の大戦の東京裁判にて唯一日本の無実を主張した人物です。靖国神社にも同様の碑があるそうです。




 神社の向かい側に、幕末維新ミュージーアムがある。











2014年2月3日月曜日

卒業制作について

 今回は、卒業制作について書きます。

【自身の卒業制作について】

 中学生から始めた“剣道”が身近な題材と言う事で、取り上げました。実在の人物を写生してそれを元に画面に構成して行く事にしました。小さい下図を作り指導教授の指導の元、本画に向けて構成を練って行きます。

中央の先はパネルを分割して制作したため

 下地作りです。絵具を置いて行きます。この時絵具を無計画にのせすぎていたと感じていました。放解末(白)のあと群青など新岩絵具を投下。


 ここで、一度絵具を落とす事にしました。絵具の層が厚くなることがいやだったので。バケツに水を汲み、屋外で水をかけては左官で絵具を削り取りました。「ちょっと古い壁画みたいかも」と思ったとか思わなかったとか・・・ガリガリという音が響き渡っていました。
 本来紙の状態や、それまでに置いた絵具の定着(何度も水を使って洗っていると剥落やひび割れが発生する)を考えるとNG工程ですが結果は効果的だったと思います。下地の胡粉と方解末が十分に塗布してあったため本紙をあまり痛めずに済んだようです。

 


 もう一度彩色を始めます。人物の形が単調ですね。




 墨で描きお越して行きます。中央の人物が画面上での主役です。描き込むきっかけが掴めると進行も早くなります。




 常に全体の状況を把握しながら進めて行きます。人物の形は自然になってきましたが描写が単調になって来た所です。



 
 ここで、主役となる人物を進めて画面の均衡を保ちます。再度必要な箇所は写生を取り、より美しい形になるよう人物の形を整えて行きます。




 他の人物も、主役に合わせて進めて行きます。描き過ぎたら絵具を被せて弱め調子を合わせて行きます。被せて馴染ませる。この作業が雰囲気を作る上で重要です。




 完成。右側の二人の姿勢が一番修正したいです。



額を装着!出動間近?


【資料】
 作品制作のために用意した写生、下図をいくつか添付しました。写生と同時に下図で構図の検討を行います。


墨と水彩で。大学3年生くらいから墨と筆を使う事も増えました。

紐など細部を詰めて行きます。






 下図もいくつか。先生の指導もありなんとか構図する事が出来ました。


始めに描いた下図。



まとまってきました。
ほぼ完成作と同じ

 これは制作中の作品を撮影し、A4の紙に印刷した後手を入れたものです。小さくする事で手も入れ易いし全体を把握しやすくなります。実は、担当の先生が助手さんに写真を印刷して学生に配るよう指示して下さったのでした。このため途中経過で迷う事なく画面を整理して進行させることが出来ました。本当は下図の段階で完成図が出来ていることが望ましいと思いますが・・


作業場】
 日本画四年生の画室です。6人で区切って使用させていただきました。が、当時の“ドン”曰くその日来た早い者勝ちじゃないかなんておっしゃっていましたけれど。来ない人も多かったのでそれでいいかもしれませんね。


 当時火鉢の火は僕が熾していました。主に僕が使っていたからです。部屋が広いだけにこれでは暖まりませんでした。しかし、膠を暖めたりする時にはちょうどよい感じでした。



 広い天井。これは愛芸の美術等の特徴です。



 いい感じですが、現在は支給された電熱器に変わってしまいました。炭代も馬鹿にならないようです。






 

 最後でご拝読ありがとうございました。