2013年9月26日木曜日

AICHI TRIENNALE 2013

 第二回目の、あいちトリエンナーレがここ愛知県名古屋市を中心に開催されています。

 僕が最先端のアートに馴染めていなかったからか。いずれにせよ、見ていて元気になれませんでした。テレビ塔に出る「生きる喜び」という文字。気味が悪いから早く止め・・。
 
 















2013年9月20日金曜日

古糊について

 今回は、古糊についてご紹介します。大学院時代に、模写の傍ら保存科学の講義も受講していたのでその時の事を簡単にご紹介したいと思います。ここで言う糊とは日本で昔から使用されて来た、水と生麩を一緒に炊いて作った物の糊のことです。これを何年(通常は5,6以上)もかけて発酵させたものが古糊です。炊きたての物と比べて、接着力が大変弱くなります。軸物を仕立てる際に用います。

 通常、軸物は一回目の紙による補強を肌裏ち、二回目を増し裏ち、三回目を総裏ちと呼びます。一回目は炊きたての新糊で行い、二回目以降に使用される事がおおいようです。実際には、三回目の仕上げで用いられる事が多いかと思います。僕が実習で行った際はそうでした。徐々に弱い糊にして行く事で、仕上がりが柔らかくなるそうです。ただ、聞く所によると表具師さんの中には、古糊の存在を知らなかったり見たり触った事がない方もおられるようです。糊も、科学糊という人口の糊を使用されている場合もあり保存修復の現場以外では珍しい物となっているそうです。


 母校でも、毎年大学院日本画領域第三研究室において大寒(2月)の頃に仕込んである古糊の蓋を剥がし糊の状態を確認しています。また、新しく壷一杯分の糊を炊いていました。壷一杯分の糊を炊くのは案外大変でした。しかし、現在母校では新しい糊の製造は行っていないそうで壷の中にある分だけのようです。水換えもしなくなてしまったのかな?在学中、実際に京都の国宝などの修理を行っている工房で何度か古糊を見る機会がありました。その時に少しだけお話も聞く事ができたことを懐かしく思います。この工房見学は現在も行われているそうです。



 簡単ですが作業工程を紹介します。


 まず一年に一回、糊が乾燥していないか確認するために和紙で封をしてある壷を開けます。左上の白い固まりは剥がした和紙です。開けた壷は、表面の灰汁を捨てて新しい水を入れます。バケツの水は、あらかじめ数日置いてカルキをとばしておきました。

 水を換える事で乾燥を防ぎます。水を張る事で澱粉質の溶解もされているそうです。こうして接着力の弱い糊が作られます。




 画面中央の黒い膜のは、しばらく放置しておくと糊の表面に出来るものです。黴というよりは灰汁と呼ばれているのかな?すみません、詳しくは分かりませんが乾燥を防ぐ効果があるとか。白い所は捨てる必要がなかったみたいですが。





 水を換えているところです。ところで、この水換えも必ずしも毎年ではなくても大丈夫なのかな?工房によって扱いには差がありそうです。





 蓋を開けると糊の表面が桃色になっていたり、黒い膜が張っています。それが通常の状態なんだそうです。この時は、上層部の灰汁をすべて捨てていました。当時から大学に詳しい方がいないと言うのが現状でした。



 もう一度和紙で密閉します。乾燥を避けるため日の当たらない場所に保管します。修復工房では、蔵の床下に保存しているところもありました。





 下記参考文献の「日本美術の〜」には興味深い研究報告が掲載されていますので、興味のある方はご一読をお勧めいたします。



参考文献

日本画用語辞典/東京美術/東京芸術大学大学院文化財保存日本画研究室
日本美術の保存修復と装潢技術その弐/グルプロ/国宝修理装潢師連盟









2013年9月10日火曜日

台湾での体験 其の弐

 今回は、台湾に始めて訪れた時の事を詳しく書きたいと思います。前回の「一回目」でも触れてはいますが大雑把に台湾について書いただけでしたね。

 僕が台湾を初めて訪れたのは、2011年。ちょうど大学院の研修過程を修了したところでした。大学院で修復関係の仕事につくか大学で模写を続けるか迷っていた時期でした。

そんな時、知り合いの方から台湾の画廊の人が興味を持ってくれたという電話をいただいたのが始まりです。
 ちょうどその頃、愛知芸大の日本画に台湾から留学生が訪れたいたこともあり、その留学生が帰郷するのに合わせて台湾に行ってみることにしたんです。留学生の母校の美大を見学させてもらったり、一度行ってみたかった故宮博物院。そして、前述の画商さんに会いに行こうと。
 おお、人生二回目の海外旅行が台湾になるとは。当時の僕は台湾についてほとんど知りませんでした。恥ずかしいくらいに。まずは行くしかないと。結果として行ったことで作家活動を続ける機会を得たわけです。

 初台湾は、4泊5日の旅でした。大雑把に消化した予定を描くと、初日はキャセイパシフィックの飛行機で夜に到着。ついに来たと胸が高鳴ります。そして、留学生と合流。2日目は台南んへ単独で乗り込み、3日は台北市美術館と華山に小籠包で有名なお店の後、台湾芸術大学へ。夜は現地の芸大生たちとご飯を食べました。4日目は故宮へ行きました。あと、誠品書店にも行きましたね。5日目は、四日の夜は友達の家が空港から近いので泊めてもらい午前の便で帰国となりました。


【初日】  初日は一人で、台北駅まで向かいました。荷物を回収し、バスで台北駅へ。なんとか切符を買うもどれに乗れば良いか分かりませんでした。いやはや未だにどれか分からないことが多いです。しばらく高速道路で移動。
 スクーターが多い。車も多いけれど。夜だったから車の燈火が眩しかった。建物は古い物と新しい物が混在していたけれど古いものが多かった。徐々に外国に来た感じがして来た。駅に着いてからも右も左も分からない状態で、地下鉄へ。待ち合わせの場所へ向かいました。以外と簡単に乗れる。 板橋駅で待ち合わせ。
 そこから、夜市へ行く。初の台湾夜市!なんなんだろうこの活気。常にお祭り状態なのか?服におもちゃ、装飾品、もちろん食事処がメインかとは思うけれど東京のアメ横をさらに雑多な感じにしたような雰囲気。人が多い。鳥の脚、首、臭豆腐にカエルの肉。どれも上手かった。夜市に漂う独特の臭いは、日本人には気になるかな。
 宿泊は、手配してくれた宿へ。二日で3000元だったから安いかと思ったけれど三掛けで9000円じゃん!案外宿は、高いなと感じた。綺麗だったからいっか。

【二日目】  衝撃の台南。

 二日目、7時に起床してなぜか忘れたけれどドアを開けたらノブに袋がぶら下がっていた。袋の中にはサンドイッチと飲み物が。周囲を見ると同じようにノブに袋がかけられていた。袋には部屋番号が記載されていた。変な物が入っていたりせんだろうな?と思ったけれど食べた。一人なのに二人分入っていて食べきれんかった。
 板橋駅で新幹線の乗車券を購入。車窓からの景色は田園風景が多かった。高鐵から降りた瞬間、猛烈に蒸し暑い。うわっなんだこれは。前日の台北は曇りで以外にも涼しかったのでこの温度差に押し潰されそうだ。
 台南駅で待ち合わせの予定。でも、顔を知らない。誰が画廊の人か分からなかった。改札口を出た後、しばらくウロウロしていたら目が合って、あの〜〜ひょっとしてって。それから、名古屋の画廊が台湾人の友人を紹介してくれていて助っ人で来てくれました。それで無事画廊へ。到着後は、現地の作家と合流して僕の作品の写真を納めたファイルを眺めながら作品の紹介。この時は、日本語が出来る美大の学生を呼んで来てくれていて通訳をしてもらいながら進めて行った。
 しかし、暑い。蚊も飛んでいる。おいおい、まだ3月の末だぜ。台北は曇りで雨がちらついたりと、何方かと言えば肌寒かったからこの差には驚いた。(台北も晴れてしまうとかなり暑かったらしい)
 画廊で僕の作品ファイルを見終えた後は、皆で観光へ。歩いて日本時代の建物なんかを見て回る。町並みは古い感じで、結構ごちゃごちゃしている。それから、作家のスタジオにも案内してもらった。他人のスタジオを訪れるっていうことはとても興味深い。しかし、当時はのちに長期滞在して制作するなんて想像もしていなかったし、毎年行くことになるとは思っていなかった。
 
 
 美食の街とも言われる台南。ある意味印象に残ったとなったのが食。これでもかと言うほど画廊の方がごちそうしてくれた。昼ご飯、夜ご飯、夜ご飯2回目と来た(ことわっておくと皆がガンガン食べさせてくるということはない)。しかし、飯が上手い。好みは割れると思うけれど僕は好きな味だった。何を食べたかは覚えていないけれど。台南は魚介類が有名な土地です。下の写真は止めのデザート?焼き菓子を豆乳のようなスープ。


現地の方が撮ってくださった


 華山1914。台湾の現代のアートを楽しめる場所。喫茶店に雑貨屋さんもあって面白い。倉庫街みたいなところ。この時は、絵本とかに載っていそうな可愛らしい絵が展示されていた。こういった所からも日本の美術との違いを知ることができるのかな。














 国立台湾芸術大学へ。大学の詳細についてはググっていただくとして、日本の美術大学とは違い演劇や放送アナウンスとか幅がもう少し広い感じ。水墨書画専攻の先生方や学生の方と交流する機会を得ることが出来た。学生が使う教室を見学することも出来た。紙や道具が散乱?していたりして。



 ここで、書画系の先生方に作品の写真を見てもらう機会がありました。一枚一枚きっちり見て下さり、講評をしていただきました。僕が外人だから、優しい方だったからか。日本画の先生にもきちんと見てもらったことなかったのに。





 大学の図書館で、一階には雑誌が置いてあって日本の雑誌も置いてあった。館内は綺麗で、大学関係者が書いたの論文も閲覧出来るし本の種類も多かった。4階建てくらいだったかな〜






 大学にある美術館?この日は、書画系の修復の展示などを見ることができました。他に科の展示もあったかは忘れました。



 大学構内には作品が展示出来る場所がたくさんあり、作品が散見された。




 分かりづらいけれど画面中央の木の下でくつろぐ学生達。三月だから学校は休み中?




 日本でもそうだけれど、こ綺麗な喫茶店があるところ多いですよね。ここで休憩の後、案内してくれた留学生の後輩宅で宴会。お手製の料理でもてなしてくれました。その日は、酒を飲み楽しく過ごすことができましたが、やや酔っぱらい過ぎたか・・・





 夜の食事の際登場したのがこのお酒、50度もあり一口目の殺人的な破壊力には驚いたが深夜までチビチビ飲んでいたら空いてしまった。ほとんどの人が飲まないと言って、口にしなかったので、料理を振る舞ってくれた家主の学生さんと二人でいただいた。
 大学近くのアパート。芸大の学生の利用が多いらしい。朝起きたら、台湾の朝ご飯を紹介してくれるってことで徒歩で近所の朝ご飯屋へ。この後、大学の教室や画廊へ。
 ベランダ?の柵が異様に映るのは日本人くらいなのかな?
 


 大学の画廊です。結構な広さでした。作品販売もしていて、教授の作品が多かったのったかな。



 4日目の夜は、知人の実家に宿泊させてもらって朝一で空港まで送ってもらった。




 
 これにて第一階の旅は終了となったのでした。ありがとうございました。









2013年9月9日月曜日

2008年敦煌の旅/A trip abroad in Donhuang

 題名は2001年宇宙の旅からです。

 僕の初海外のお話です。当時書いた日記を要約しながら書いて行きます。当時スマホもパソコンも持っていませんでした。帰国後に報告会もあるので記録しておきたかったですし、初海外で気合も入っていました。

旅行中の日記

【導入】
 僕が大学院二年生の時に「片岡珠子基金」なる助成をいただき15日間の敦煌取材を決行。
 海外に出た事がなかったので、航空券から宿の勝手までよく分からずグダグダ準備した事を覚えています。始めはチベットへとも考えていましたが結局敦煌に決定。HISで航空券と宿の予約をしました。旅行会社の方も世間話や何をしに行くのか聞いてくれるのですが、随分と高いチケットになってしまったらしくちょっとキツめの口調で手配してくれました。今考えると、パックツアーなどを利用しないのであればこういった会社を使う必要ってそんなにないのかなと感じます。本当は一ヶ月くらい行きたかったのですが名古屋市内にある支那領事館まで行っといてビザの申請とかよくわかりませんでした。旅行会社を通すんだとか。直前に準備はいかんですね。

 この助成事業には大学の2年から応募はしていたのですが、当時はアメリカへ行きたいと思っていました。毎年一人でしたから、当然諸先輩方を差し置いて合格(先生方の許可)するわけも無く。それから大学院に入ってから方向を転換。大学院で古典絵画の模写を学んでいたので、法隆寺などの日本の絵画に影響を与えたと言われている唐時代の絵画研究するため敦煌へ行きたい!絶対行きたい!と思い、最終学年で最後の機会だからと年一回の助成金審査を受けました。先生方のお気遣いもあり、晴れて敦煌研修へ行く事が出来たという流れです。

 許可していただきありがとうございました。
 
【旅の概要】
 敦煌の壁画群の取材。壁画研究を通して仏教絵画の歴史及び絵画性についての造詣を深めること。また、日本の特に古墳時代から奈良時代の絵画への影響を与えているといわれていることからその関連性についても調査する。かっこよさげに説明するとこのようになりますが、勉強がまったく足りてません。
 それと、風景等日本画制作のための写生。というかただ平山郁夫先生みたいにスケッチブック持って砂漠を歩き、スケッチしたかった。
 
 旅程:15日間 目的地:敦煌
 
 初日と最終日は、上海に滞在し現地の博物館、古跡を視察。敦煌では、主要な壁画群を視察及び絵画制作のための写生を行う。

【旅の始まり】
 それで、2008年の9月に行くことに。潤沢な予算をいただいていたので、十分ケチればもっと長く滞在できたのですが、いまひとつ勝手がわからず高い航空券とホテル代を支払うことに。事務の担当者も親切に対応してくれていたことが記憶に残っています。

 トランジットで上海に一泊し、翌日西安経由で敦煌へ行くという段取り。まず上海について、というよりも中部国際空港の出国ゲートで捕まりました。鉛筆、矢立ての墨・・・・若い女性検査官?が表情を変えずキツい口調で質問。事なきを得ましたが。「これはなんですか?」と。僕は淡々と「墨です、鉛筆です」てな感じで返答していました。あせりましたね。丸刈りの風貌も怪しかったか。

 上海浦東国際空港に着いたらお茶をコンビニで買いました。そして一口。そして絶句。「甘っっっっっっっ」お茶が甘いことをこの時知りました。これ、結構びっくりしました。
 移動時に困らぬようあらかじめ目的地などを紙に書いて、その都度見せてました。発音出来んかったし。
 タクシーでホテルへ向かう途中高速から高層マンションが林立しているのが見え、これが上海か〜すごいなと感心したものです。でも、ボロかったせいか当時の僕には異様な光景に見えた。林立する廃墟・・・・映画のワンシーンを見ているようでした。
 高速道路を移動中、シートベルトを閉める事ができずアタフタしている間も運転手はクラクションをならしながらアクション映画のように車の間を縫うように駆け抜けていきます。とくに乱暴な感じでもなく自然な流れでしたが。
 そういえば、林功先生(故人:愛知県立芸術大学で指導者としても活躍されていた画家、復元模写の先駆者的存在としても有名。僕の中では伝説の人)も高速道路で事故に遭われたと伺った事がありました。恐ろしい・・・というか非常に残念な出来事。スピードは出すし、運転はラフだし、シートベルトは閉めないはで恐ろしかったです。


 ホテルは虹橋空港のそばにあるホテルに。こ綺麗なホテルで感じは良かったです。このホテル、旅行社の方が空港の近くのホテルにしておきましょうと言う事で取ってくれたのですがこれが次の日に仇となるのでした。
 部屋に荷物を置くと、一息つく間もなく市内散策へ飛び出した。とりあえず、上海博物館から南京東路という計画で。

 博物館は奇麗で、展示物も興味深かった。ただ、もう少し絵画が展示されないものかなと思った。少なく感じたから。好みの問題だと思うけれど。博物館は、観光客の欧米人が多かったかな。持ち物検査があり、水の持ち込みはできない。手荷物検査のため、入り口に少しだけ並んだ。日本ではセンサーをくぐるなんて事ないからちょっと物々しい感じ。作品は良かったと感じた。仏像が印象に残っている。でも、思ったほど大きい施設とは思わなかった。
 余談だけれど、大陸の文化、芸術品はその都度支配層が変わっていたり土地も広いのでひとくくりにこの國のものというとピンとこない。今だからかこそ思えるけれど。敦煌だってもう違う文化圏だろうし。大陸って大きい。
 
 博物館に行く前だったか南京東路の後だったか前後関係をはっきり覚えていないけれど上海美術館へ歩いて行った。でも、閉館時間になっていて入る事が出来なかった。あと、博物館の近くにあった画廊に入った。油絵がたくさん飾ってあって。具象画だった。
 
 話を戻す。博物館を出た後タクシーを探す。客が降りたタクシーに乗り、行き先を伝える。が、発進しない。意思の疎通が出来なかったからか運転手が怒り出した。は?僕もカチンと来て日本語で文句を言ってドアを叩き付けるように閉めた。
 次に南京東路へ。芋荒い状態で疲れた。ナニこの人だかり。というか、出発時から極度に緊張し、到着後も警戒心の固まりみたいだった。気を抜いたらやられる。そう思っていた。だから一息着こうと思って腰を下ろすことにした。すると若い女が話しかけてきた。初めは普通語で話しかけて来て、僕が分からないそぶりを見せると英語で話しかけて来た。これがめんどくさくて、一緒に歩きながら話そうなんて言ってくる。しばらくアタフタしながら話していたけれど、特に言葉が出来る訳でもないので何となくだった。でも、これはこれで外国っぽくて楽しい時間だったのかも。適当な時間で無理矢理断って立ち去る時に「あなたのハートはこのくらいね」と言って親指と人差し指の先をを合わせていたのが印象に残っている。何にせよ、ボラれたらたまらない回避できて良かった。なんだか映画の一場面を見ているようだった。
 この通りは、若い女がたまに声をかけてくる。キャッチセールスぽい感じだったけれどしつこくはなかったから最初の女のとは違う輩のようだ。

 それにしても空気が重かった。湿気のせいか、大気汚染のせいか。いろんな排気ガスが出ているんだろうな。
 市内は奇麗な建物とそうでないところが混在していて、開発中って感じ。基本的には汚いと思う。また、西洋人の観光客がたくさんいたな。バックパッカーみたいなの。皆?でっかいリュックを担いでいる。そうじゃない家族連れもたくさんいた。家族連れは、目についた。このクレイジーな地が旅行先として人気なのだろうか?
 電動バイクが音もなくツッコンんで来るわ、車もおかまいなしだわで街歩きは本当に疲れた。信号なんて関係ないのか、人をひいても構わんのか。意を決して横断歩道を渡ること数回。
 常にひかれないように360度周囲に気をくばり、たかられたりしないか警戒していて疲れた。

 ここでは、吉野家で食事をしたこと以外に何を食べたのか記憶がない。吉野家も献立が吉野家じゃなかったし(笑)コーラがセットで付いてきたのを覚えている。それに、店員は客の要がなければ、店員同士でおしゃべり?していたかな。店内を店員が回って片付けしていた。外と同じように店内も賑やかだった。


 思った以上にガスっていて息苦しい。行けば分かる。上海博物館の周囲はこんな感じ。カメラを構えたら隙が出来るという警戒心から上海の町並みはほとんど撮影していなかった。今思うと残念。









上海博物館















【いざ敦煌へ】
 翌日、起きて空港へ・・・・2時間前には出発し、ホテルの横にある虹橋空港でチェックインをしようとしたらカウンターのおねーちゃんに違うよと言われた。浦東だよと言われ一気に血の気が引く。あれ?旅行会社の人は、空港から近いホテルを取りましょうということで予約してもらったのに!あ〜なんということだ!やばいよやばい!と一目散にホテルに戻りタクシーを捕まえて空港へ向かいました。早めに出ていたので無事に到着し本当に良かった・・・チケットの確認は大切ですね!
 しかし、ターミナル1?、2?どっちだとタクシーの運ちゃんが聞いて来た時に、全く分からなかった。チケットを冷静に観察することもできず、敦煌を(もちろん中国語の発音で)連発していた。そのくらい焦っていた。降りる時にお釣りをくれなかった。はぁっ?でも抗議している時間は、なかった。



 西安で乗り継ぎでしたが、これがなかな出発しなかった。元々乗り継ぎ便の出発まで時間があったので外に出られるのかな〜とも思いましたが留まる事に。ロビーはそんなに広くなくて、人だらけ。カップ麺にお湯を入れ食事をする人やおしゃべりする人でごった返していた。とても賑やか。係の人を待ちの客が囲んでいて、代わる代わいつ出発か確認している。時間になっても案内?がなかったので僕もちょくちょく確認していた。早口の英語で返されてもよくわからんけれどね。本当に飛ぶのか??飛ぶのか??飛んだんですけれど。アナウンスが聞き取れず乗り損ねることだけが心配だった。全神経が館内放送に注ぎ込まれていた。

 敦煌に着いたのは夜の7時くらいでしたが、かなり西に移動したので実際には昼間と言って差し支えないですね。もう別の国ですよ。環境からして。飛行機の窓から、荒涼とした大地がのぞいた時は心が高鳴った。さらに着陸してタラップを降りている時は感慨深いものがありました。ついに来たかと。


 二週間の短い旅が始まりましたとさ。






【敦煌】
 さて、どうやって町に行くのか・・・最初に聞いたタクシーは駄目で、ワンボックスの乗り合いタクシーに乗車して向かうことが出来た。社内には、運転手と係の人が一人づつ。男性客が僕以外に一人。なにやら電話を片手に中国語で会話している。時折係の人にも質問していた。降りる直前になって、その男性が日本人だと言うことが分かって少し話すことができた。なんでも、弾丸一人旅で来てしまったらしい。明後日くらいに帰ると言っていたように記憶している。ここでの会話がかなり僕の緊張をほぐしてくれた。
 ホテルについた頃には、すっかり日も暮れていた。車の中から市場のネオンがまぶしく映ったのが印象的だった。ホテルは、敦煌では一番上級クラスのホテルを予約してもらっていたらしく大きかった。受付の人に、英語と日本語ができる係がいた。そこそこ上の地位の人に見えたけれど。
 その日は、ホテルの食堂ですますことにした。一階に日本食の食堂「ふるさと」があったので入る。そばを注文したが、なかなか出てこない。茹でるのに何分かかっているんだ?しかも、まずかった。
 会計の時に、サービス料と「おとおし代」を取られた。おい!なんだよそれって思ったけれどそんなもんかと。着物を着た若い可愛い女性店員に免じて許すとするか。そう、なぜか桃色を基調とした着物をまとった現地っぽい(つまり漢民族っぽくない)十代後半くらいの子がいて、いつも店の前に立っていた。不思議な光景だったから今でも記憶している。なんでここで着物って?ちなみに、店内では加山雄三の歌が流れていた。妙に歌詞が心に響いて来た。それから、加山雄三の歌が好きになった。
 ホテルの部屋は綺麗で、そこそこお金を出したからそうなんだろうけれど。もっと安いところでもよかったな。シャワーの具合とか調度品の作りは遠い異国の地だと思えばこんなものか。ここは砂漠のど真ん中なり。




 
 そう、旅は始まったのだ。短いけれど。


空港前の駐車場
 敦煌市の中心部。観光の町なのでホテルが多い。電動バイクにスクーター。スクーターや車の排気ガスがたまに鼻をつく。砂埃のせいか誇りっぽくも感じる。乾燥しているせいで爽やかさはあったかもしれない。
 


■敦煌二日目以降

 腹も減りどこかで飯を食いたいとさまようも、なかなか店の中に入る勇気が湧かなかった。意を決して入った店は、麺類が中心で確か小皿に総菜を2、3品と麺のセットみたいな感じだった。適当に指止しでこれが欲しいと伝え、あとは神のみぞ知る。感じのいいおばあさん(スカーフで頭を覆っていた。イスラムっぽい感じ)が応対してくれたが、なぜか麺が二種類も出て来た。?注文を間違えたのかと思ったけれど、後々分かったのはそういう献立だったらしい。外人向けの写真付きの献立表を見ることがあったのでその時気が付いた。しかも、次の日からお腹の調子が悪かった・・・
 しかも、汁物の臭いが気になることもあったかな。水が良くないと思う。

ここが街の中心部に当たる
 昼間から室内の蛍光灯を点す家は少ない。省エネでいいんじゃないかな。




 中心部から少し離れるとこんな感じ。歩いて回れないこともない規模だと思う。出店が点在しており興味をそそられた。台車で果物売り歩くお婆さんもよく見かけた。





 これはパン屋だったかな?案外、飯はうまかったと記憶している。しかし、日本でもみるような菓子パン類はパサパサしていることが多かった。そんな中でも饅頭など露店で売られているパンもちもちしてはうまかった。ただ、乾燥し易すい土地柄ゆえ袋に入れて保管しておかないと歯ごたえが・・・。滞在中は、出店のナンのようなパンを買っていました。パン屋は二軒挑戦したけれど会計時に上手くやり取りが出来ず若い店員の子に笑われた。


ここには入らなかったけれど
 文房具屋さん、他の物も売っているようだけれど。先生方に手紙を出そうと思い、糊を買いに行ったら店番のおばさんが「日本人?サンキュー」と言っていた。観光客慣れしているのかな。おばちゃんの感じは良かった。ちなみに便箋はホテルにあった。大学の先生と両親に出した手紙は、帰国直前に届いたらしいけれど。そういや、帰国後に先生位にお電話を入れるのを忘レるという失態を犯してしまった。




 中心部も裏路地はこんな感じ。埃りっぽく人影はまばらで静かだった。




 町には清掃員のおばちゃんがいて、ゴミ拾いしながら歩いていた。以外にゴミが散らかっているということはなく、町はこざっぱりとしていた。





 青果市場。町には荷台に果物を積んで売り歩く老女もチラホラ。果物は水分たっぷりでうまかった。リンゴ、棗、なし、などなど。市場はこれ以外にも、羊を売るところもある。首を落とし皮を剥いだ状態でぶらさげられていて、存在感たっぷりだった。





 夜は飲み食いする人、買い物する人で賑わう中心部にある市場。敦煌の夜は長い。11時頃でも賑やかだった。幼児をつれたおばちゃんもよく見かけた。こういう場所でものを買う時って値切ったりするんだろうけれど今回の旅で値切ることはなかった。食べ物以外ほとんど買わなかったから。それに中国語話せんぬ身。値切る必要がないスーパーもあった。西洋人のパッカーをよく見かけたけれど積極的に露店の商品を物色したり、食べ物の味見をしていた。開拓精神の旺盛な人種なんだろうなと思った。基本僕は大人しかった。





 工事中のホテル。開発は続いているみたいだけれど、地盤は緩そうな。砂漠だから。





 敦煌市内の一般的なアパートだそうだ。いや、まあまあいい方なのかもしれない。基本はボロい所が多かったから。窓は狭く閉鎖的な感じを受けるのは海外ならではか。


土の壁


 





 街一番の繁華街で夜になるととても賑わう。羊の肉の串焼きが有名。また、羊の内蔵炒めが美味。と、言いたいところだけど激辛で次の日は必ず下した。辛いのが原因か衛生面が原因か・・・。夜の活気はなかなかで、楽しかった。皆忙しく働いていた。
昼間はまだ開いていない
 大小のスーパーも点在しており、小さめのスーパーで食べ物を買おうとしたら店のおねいさんが買い物かごを持って来てくれた。無愛想な感じではなくやや控えめにはにかみながら。ここは本当に中国??!!めちゃ和んだ。
 観光客が買い物している光景もよく見かけた。必要に応じて大量の水を買ってホテルに持ち帰り、飲んでいた。最初に買った500mlのボトル一ダースで15元だった。そういえば、街のはずれにあった二階建ての綺麗なスーパーに入ってみたら。小さいスーパーより水が安く売られていた。これに気づいたのは最後のほうだったから買う事はなかった。

夜はとても賑やかになる








 ここがいわくつきのお店。日本人バックパッカーに有名な場所で。ここを拠点にしている随という支那人に出会った。道を歩いていると椅子に座っている男と目が合った。すぐに反らしたけれど、日本人だと感じたのか立ち上がり日本語で話かけてきた。無視したけれどしつこくて、名刺だけでもと言って名刺を手渡され向かいの店にいるからと言われた。そういえば以前敦煌を訪れた大学の友人が話してくれた男がコイツかと後で気づいた。(僕が行く一年前だったかな、同じ場所に大学の友人が訪れていてこの男性に会っていた)
 その日の夜にお店の様子を伺おうと道路を挟んで向かい側から見てみると、店内には先ほどの男の他に男性と女性がいて、一緒に話しているのが見えた。恐る恐る店内に入っていくと・・・さっきの男と日本人旅行者が話しているみたいだった。その人達は以前にも会ったことがあるような雰囲気だった。楽しそうに話している。かなりコアな旅をしている人達だった。男性は髪を後ろで束ね浅黒く日焼けをした精悍な顔つき、女性のほうは色白で優しそうだけれど、こんな男性に付いてあちらこちら回っているそうだから肝が座っている。その人たちからは僕が25歳だと言ったらもっと若く見えると返された。
 ここで会った人達は皆コアな人達ばかりだった。会社を辞めて教員になるために大学に入り直した青年や30代半ばの女性二人も電車でここまで来たとか。 中東をたくさん回ったという男性とも出会った。兵馬俑に行ってから急遽来たという大学で教えているという男性にもあった。こいうところに来る人ってどこかネジ外れているように感じる、話していて。
 リュックを背負って電車で移動。彼らにはお手の物なんだろう。同朋の旅人との楽しい出会いでした。

 お店には、日本人バックパッカーが記録していった旅ノートが置いてありいろんな旅情報なんかも書かれていた。この随という男は、どうやら日本人を相手に個人観光ツアーみたいなことをして儲けているのだ。
 それから、二週間この随という男に観光の相手をしてもらうのだった(実際には、この男が雇っているタクシーの運ちゃんが連れて行ってくれるのだが、随という男が同行することが多かった)。胡散臭いといえば胡散臭かったけれど、他に頼る術もなく普通の観光では行けないような穴場に行くことも出来たので多少高い費用を出すことになったとしても仕方がなかった。とは言え多少は値切るべきだったかも。どうなんだろうか・・・まあ、人も悪くなかったし。間貸ししている料理屋のおばちゃんも穏やかな人だった。通常この国の人ってワンワンしている印象が強いから。いろんな人(人種)がいるんだろうな。

 そういえば、随という男、案外心配性な人だった。旅行中に何かあったら大変だから変な所に一人で行かないでくれとよく言われた。
 でも、日本人なんて楽勝だぜなんて言っているとか・・・聞いた話だけれど。
 旅の後半、随さんの自宅で食事をごちそうになった。羊肉の鍋。上手かった。奥さんも現れた。気を使ってくれたのか、食事を進めてはくれるけれどほとんど会話はなかった。遠慮がちで気の悪そうな人ではなかった。随さんは大学で日本語を学んでいたが、来日した事はないそうだ。しかし、旅先で初対面の人の家に行くとかやや心配であった。いきなり男がたくさん入っていきて取り囲まれボコられて金を取られたりしないものかと心配になる。

 というわけで、高い案内料を払って一人ではいけない場所へ行けるという体験を取るかどうかというところだと思う。ぼられているんだろうけれど、安全には気を使ってくれるし、情報もたくさん入るので悪くはない。あとは、交渉次第で生かすも殺すも自分次第じゃないだろうか。




 夕飯は、ほとんどこのお店で食べた。他の店でも食べたけれどここに来ることが多かった。おいしかったから。作るのは店の主人で無口な人だった。てんこもりの水餃子、麺、汁物と量もあった。ビールもよく飲んだ。このお店は外人向けの朝ご飯も提供していて、フレンチトーストやコーヒーをいただくことも出来る。大抵、僕は汁物と主食を頼んで食べていた。白人さんたちはコーヒーとトーストを頼んでいた。



 そういえば、思い出すと朝は何を食べたのか覚えていない。パンくらいだったかな、移動するために朝が早かったこともあったし。昼は取材で出てしまったから持参したパンをかじるか貰った果物を食べていた。しっかり食べたのは夜が多かったかも。






 


町で


宿泊していたホテルの前
 
 物売り。市中でよく見かけた。果物など台車で引いて売っているおばちゃんが多かった。写真のように道路脇に陣取っている人も多かった。強い日差しの中日陰が恋しかった。






 観光地だからか公衆トイレもあった。写真のトイレは無料だったかな?使った記憶がないけれど綺麗なほうだと思う。おばちゃんが番をしていてお金を渡して使う場合が多いみたいだけれど用足しの際少し戸惑うことも・・・・僕は最初どうしたらいいか分からなかった。本当に迷った。この溝に、ここに投下してよいのかと・・大きいなものもこの溝に投下すればいいのか?気になる方はご自身の目でお確かめあれ。
 
 莫高窟に設置してあったトイレは、どこにいっても見せられる綺麗なトイレでした。紙も流せたし。



 道路はタクシーなどの路駐が多い。路駐を巡って、小競り合いを見た。ストリートファイトは日常か?

 そういえば、タクシーに乗っている時に銀行の前を通ったらショットガンを持った警備員が立っていたのが印象に残った(常駐しているわけではなく、中で他の警備員が作業していたっぽい)。レミントンだったかな。



 日差しが強い午後、路地に入ると、静かな時が流れていた。






 もちろん小学校もある、どこの国も子供は無邪気なんだろうな。朝の登校時間になると明るい笑い声が街に響いていた。


小学校

穏やかな風景

【取材−壁画見学/写生】

■莫高窟
 本研究旅行の目的となる壁画研究(といってもただ観るだけ)。莫高窟には二回見に行った。二回とも日本語ができるガイドに案内してもらえたのがよかった。ガイドが来るのを待っている間、係の男が日本語で話しかけて来て(なんで日本語喋られるんだ?)、他愛もない話だったけれど盛り上がった。まあ、笑いながら旅の出会いには気おつけてとか係りの女の子がかっこいいって言っているよとか。男三、四人くらいでケラケラ話していた。

 二回ともガイドさんと僕だけだったので一人でじっくり鑑賞することができた。ガイドさんも美大生だと言ったら気前よくゆっくり回ってくれた。大きな窟にあった巨大な大仏の存在感は圧倒的だったし、壁画の保存状態も乾燥地帯ならではだったと思う。しかし、大仏が鎮座していた窟の両端に巨大な菩薩が描かれていたのには驚嘆した。どの窟も(窟に寄って年代も、画風も違うけれど)ゆったりとした線描に、おおらかな構図と色使いが印象に残った。唐、随を中心に様々な時代の作品が見られて眼福にあずかりました。
 二回目のガイドさんが女性で二十代だな。美人でだった。全くけしからん。
 特別窟も見てみたかったのだけれど、係員と上手く会話が出来ず見ることが出来なかった。しかし、入場料が高いらしい。
 この地域にある仏教美術に関しては、機会があればまた見たいと思った。また、ここ以外にもいくつかの場所へ壁画を観に行くことが出来た。これはいい勉強なった。



■玉門関 
 今回の二つ目の目的地。故平山先生もこんなふうに取材されたのだろうか?
 製作中、白人のおばあさんに話かけられた。「 に〜はお」と。チャイニーズじゃないよって、学生で絵の勉強をしていると自己紹介をした。案外通じるんだなと、その時思った。






■西千仏洞
 郊外に出るとたまに、番犬がいて怖い。人食いそうだし。そういえば、ここの壁画は観る事が出来なかった。いまいち勝手が分からなかったから。係員どこ〜?




■ヤルダン国立公園
 ここの、案内嬢が日本好きで日本語を少し話すことができた。その人と少し話したけれど、日本が好きで自習してるんだとか。どこにでもそんな人がいるんですね。また、公園内を回るバスの中で日本語が達者な中年男性に出会った。東大に留学していたらしい。こんな所まで来て日本語を聞くとはね。



 とにかく乾燥していた。汗もすぐに蒸発していく。日差しも強かったから気づかないうちに疲れも溜まったと思う。しかし、写生に夢中だった。



 空の色は、鮮やかな群青でした。広い空、広い地平線。



■西晋墓
 4世紀頃。ちなみに高句麗の安岳3号墳が4世紀後半でしたっけ。高松塚が7世あたりでしたか。周辺にお墓が点在していました。



■漢長城
 漢は、秦時代の後。紀元前206〜220年頃。ぼろぼろではあるものの土でこさえた城壁が続いている。




常に写生の準備OK












千仏洞
 現存している窟は、西夏時代(1038〜1227)頃のものが多いそうだ。この時代は、チベット系の民族が支配していたそうだ。老夫婦が管理している。敦煌からは遠い。何もないところだけれど電気だけ引いてあったような気がする。

楡林窟
 唐〜元時代の窟が残っているそうで。巨大な大仏は圧巻。日本語のガイドさんもいた。気の優しい人で、丁寧に案内して下さった。



【敦煌の風景】
 乾燥した大地。とにかく乾燥していて洗濯物もよく乾いた。移動はタクシー。観光中は果物を食べることが多かった。毎回、例の随さんが用意してくれたのだ。乾燥した大地、汗もたちまち蒸発してしまう。水分補給は欠かせない。昼食は果物なんて日が続いた。

風の音だけが聞こえる
これはメロン
乾燥した大地
夜から朝方にかけての冷え込みは厳しい。昼間の暑さが嘘のよう。

 郊外でトイレに行きたくなった時・・・どうしましょうね。困りますね〜。敦煌城のトイレで壮絶なうんこ盛りを目撃し衝撃を受けたことを記憶しています・・・どうやってあんなにモリモリさせたのか。強引にかましたのかな。しゃがんでは不可能なほど盛ってあった。
 ここも見学する時に、若い子が丁寧に説明してくれたのだけれどもちろん何を言っているのかは分からなかった。敦煌の人々は実に素朴でした。



こんなところで便意をもよおしたら覚悟を決めるしかなかろう・・・か

 郊外の道路はこんな感じ。風が猛烈に強く、寒かった

 野生のらくだを発見
 どこまで行けるのか??と思ってしまうが、どこまで行けるんでしょうね。遊牧民が羊を放牧していた。城跡からの風景。かつて遊牧民が支配していたのかな?
 爽やかな風が気持ち良かった。



時が止まったような錯覚に陥る。静かで、風の音しかしない、乾いた大地

 ところどころに遺跡が残る

 これも城壁。大規模な物だった。現在は無惨な姿となっている
 上の写真の城壁の外だったかな、ちょっと記憶にありませんが。ネコ科の足跡もチラホラ。野生動物に注意が必要ですね。






 砂丘、そして防砂林。やはり、町が心なしか埃っぽく感じてしまうのは仕方がないか。奥に見えるのが鳴砂山の辺りで、市内から歩いて行くことも可能だった。道中道路沿いに宿が散見された。泊まっている人、いるのかな。でかい砂丘を見たのは初めてだから圧倒されました。




 送電線と右側に道路。たまにトラックとかが通っていた

 観光地鳴砂山。砂丘に沈む太陽。思えば遠くに来たもんだ。しかし、らくだの辺りからうんこ臭が・・・たまらんかった。
 写真にも映っている橙色の長靴。砂丘を登る時に砂が入らないようにするための物。


 鳴砂山は柵で囲われていて、監視員もいる。わざわざここに来て砂丘を登ることもないのかなと思ったりもするが、他のところで登山したら遭難しそうだ。ここでは、日本人を一組見た。話かけはしませんでしたが。




 こいう場所がたくさんある。ここまで来ると、もう日本にいたことを忘れるくらい空気が違う。
郊外の砂漠。奥に岩壁があった
 
【帰路】
 敦煌最終日。朝飯は「とりがうスープ」と書かれたお店へ。家族でやっているのか。おばさんと二十歳くらいの女性が、タマネギをむいたりしていた。若いけれどしっかりしていそうで気になった。滞在中2回目の利用。午前中は随という男の案内で土産物屋へ。絨毯屋、水晶屋、本屋、夜光杯屋と進む。若い女性が切り盛りしている玉?のお店が名残惜しい。夜行杯のお店は日本語を喋る男が相手をしてくれた。レートの事を忘れ、だいぶ金銭感覚が壊れていたので値切らず買ってしまった。阿保か。男は客慣れしていて落ち着いた口調でよく喋る。まくし立てるように喋るイメージが強いが以外とそうでない場合が多い。スカーフ?をお土産に購入したのだけれど、これも言い値で購入。これも値切るべきだったのかな。昼はいつものお店でロバの肉を食べて一服してから空港へ。このお店には本当にお世話になった。それにしても、帰国間近でだいぶ気が緩んでいた。

空港の扉が開くまで時間があったので外で写生。
 敦煌空港の内装。小さいところで、飛行機がだいぶ遅れて出発したな〜。ほんと不安でたまらんかった。待合室は数人の日本人観光客の組もいた。ガイドをつけて旅行を楽しんで来たようだった。

 奥がチェックインカウンター。アナウンスはなく、気づいたらチェックインが始まっていた。飛行機は1時間ほど遅れた。


 その後、無事西安経由で上海へ。この時の乗り継ぎは早かった。飛行機から直接バスで、他の飛行機に移動した。上海に着いたらタクシーでホテルへ。車中では、汗が噴き出して来た。その様子を見た運転手が窓を開けてくれた。勢い良く風が車内へと流れ込んできた。ホテルについたのは夜の12時を過ぎた頃だった。ホテルでカップ麺とビールを買い、遅い夕食の後、床に就いた。

 次の写真は宿からの眺め・・・・は、廃墟? 割と近くに上海動物園があり、すぐ近くには虹橋空港がある。朝、6時くらいに目が覚めた翌日の景色。睡眠時間は少なかったけれど疲れは取れていた。よほど疲れていたのか。部屋のテレビを付けるとNHKが放映されている。朝食は一階の食堂で。カッターシャツの中年男性が多く見られ、あちこちで日本語が聞こえてくる。皆仕事で訪れているようだった。従業員も日本語を喋ってくる。献立も味噌汁と日本食が揃う。味もよくあるレベル。初日と同じホテルだが、この時の印象でこの国もホテルは日本と似たような感じなんだと思った(旅行会社が取ってくれ、なおかつ仕事で日本人が多数利用する宿だからなんだけれど)。

 乾燥した敦煌にいたため、上海の空気がかなり湿っぽく感じた。汚く重い。
 今回旅では、トラベラーズチェックを使っていたのだけれど最後の最後でやらかしてしまった、問題が発生したのだ。受付で署名する際、必要のない所に署名したらしく換金してくれなかった。しばらく粘ったけれど駄目だった。さっき受付した若いのは何も言わなかったぞ、おい!どういうことだ?銀行に行ってくれと言われたが所持金でなんとかなりそうだったし、時間の無駄と思ったので事後処理することとして、観光を優先させた。結局そのまま放置したけれど。
 最寄りの駅までタクシーで移動して地下鉄に乗る。地下鉄はあそこだと運転手が指差しで教えてくれる。切符の買い方が分からなくてきょどっていたら、駅員さんが教えてくれた。上海万博が控えている事もありサービスの向上を図っていたのかもしれない。電車内のことはほとんど覚えていない。ただ、人は多かった。服装や立ち振る舞いをボンヤリと眺めていたかな。この日は、夕方の飛行機で帰宅となるのでそれまで観光。カメラの充電を忘れてしまい、写真が撮れず残念だった。



 

ホテルの内装。悪くない。



 まず、豫園へ向かう。どこでどう降りてどう歩いたかは覚えていないけれど、さまよっているうちに到着。途中外灘を抜けたことは覚えていて、この辺りは工事中で騒がしかった。やっぱり空気は汚い。
 歩いているとパン屋や、水墨用の墨や紙を売るお店。本屋。コンビニ。様々なお店が目に飛び込んでくる。どれもが新鮮だった。本当に刺激的だった。立ち寄った本屋は美術書が充実していて、技術書なんかが多かった。どれも中国の画家や学院が描いたものだったかな。これに関しては、日本より充実しているのかもしれない。
 豫園商城の込み具合はなかなかのもので、日本の観光地よりも凄いなと素直に思った。そのくらい人が多い。路地裏なんかも回って見たけれど、屋台で食事するのは勇気がいるというか(腹を壊すのではないかと思った)そもそも食事をしなかった。いや、なんども食事をしようと思ったが、なかなかお店に踏み入る勇気!?が出なかったのだ。レジでのやり取りや、店内で食べたりすることを面倒に感じていたというのが正確だけれど。食べてる場合じゃない。時間が迫っている。都会だけれど少し入ると商店街や、木造の二階建て家屋が広がる。路地裏にこそ散策の醍醐味がある。
 それで、リニアに乗って空港に行ってからケンタッキーで食事をした。ファーストフードの値段はなかなかのもので、大陸での食事=安いという印象とは違った。そもそも、こちらにいる間、為替の意識が弱く金銭感覚は崩壊していた。お決まりなのか帰りの飛行機も予定時刻より遅れて出発した。本当に飛ぶのか?と思わずにはいられなかった。待合所のお土産屋の店員は簡単な日本語を使って応対していた。女性が多い。ここの自販機で購入したオレンジジューズがくそがつくほど甘く、げんなりした。
 そういえば、敦煌に滞在中、試しにお菓子を購入して食べてみたけれどアメリカンな感じで大味だった。甘かったし。全てがそうでは無いけれど。
 1時間以上だったか、飛行機は遅れて出発。中部国際空港に降り立ち税関の検査を終え、外に出た時の充実感は何とも言えなかった。 

 こうして15日間の旅は終わりを告げたのであります。めでたしめでたし。


 


 後日談。それから、帰国後しばらく胸が息苦しかったです。疲れが出たのか、空気に冒されたのか・・・


 お金をいただいての研修旅行だったので当然報告会なるものがありました。パワーポイントで写真をまとめて、簡単に旅行中の日程と勉強出来たことを報告しました。それから日本画の教官室でも報告するようにと言われて報告に行きましたが、間がつかめなくて微妙でした。残念。

【まとめ】壁画を視察と写生をする目的は果たす事が出来たと思う。帰国後改めて日本の仏教絵画の図版と敦煌の壁画郡の図版とを見比べてみる事で図像の比較を行った。現地で観たとことは大きな経験となった。時代背景についても調べて行けば、時代ごとの芸術性や地域の分布が分かるから今後の古典絵画研究のきっかけとして有意義な研究旅行になったと言える。もちろん自身の感性にも多大な影響を及ぼしてくれたことと思う。

 最後になりましたが、ご支援賜りましたことに改めて感謝を申し上げます。
 
 ありがとうございました。  
 
 加藤正晴              


敦煌にて